37歳になってみて

green plant on gray rock 独り言

いきなりですが、6月13日は私の誕生日でした。37歳になりました。
誕生日に次のようなポストを書いています。

何者かに憧れ、何者かにならないといけないと感じながら生活を送り、何者にもなれない怒りと焦りが充満した日々でした。
『37歳こそは』と締めくくっています。

で、37歳になって半月思考と振り返りをしてみてその「何者」かがなんなのかが判明し、すでに成し得ていることが分かりました。

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1度死んだ人生

私は30歳の春、死にました。
死にました。と言っても本当に生命機能が停止し死亡したわけではなく(本当にその状態ならブログも書けません)、社会的に抹殺されたと言った方がしっくり来るかもしれません。
私が当時から思い描いていた社会、そして今も感じている現代社会の構図として、競争を強いられ、自分磨きも人脈を広げることも、成果を上げることも、あれもこれもして認められないと(今思えば誰から認められるのだろう?)生き残れないという強迫観念に似た空気が流れているように思います。
「〇〇しないと生き残れない」という脅しは今も多くの人を苦しめていると思う。

その様な意味で、社会の流れとして病気を発症したことにより、競争社会から離脱し、社会的に抹殺されました。
そこから第二の人生がスタートしたわけです。

第二の人生でも脅される社会の空気

第二の人生がスタートすると今度は精神疾患から社会に復帰することを強いられました。誰かから強いられたわけでもありませんが、社会的にはそんな空気が漂っており、自分もなんの疑いもなく、病気を回復させて1秒でも早く社会人として自立し直して、もう一度競争社会に参加しないといけないと信じていました。

そんなこんなで闘病しながら、公務員ではもう這い上がれないと思い、個人事業主をしながら何かしら社会との繋がりを断たないように、いつかは競争社会に戻れるように訓練をする日々でした。

障害者雇用で今の会社に務め始めた時、Facebookにこんなことを書いています。

長男授かり、うさぎ珈琲の売上だけではこの先厳しいと感じ、

再び社会人として働くことを決意し就活を始めました。

うつ病、広場恐怖症、感覚過敏、発達障害、解離性同一障害、パニック障害、

診断名はなんだって良いんですが、普通に働くことができないと判断し

障害者雇用を希望し職を探しました。

2年弱就活を続けていたでしょうか。

箸にも棒にもかからず、結果は散々で、何度も心が折れそうになりました。

それでも息子の笑顔を守りたいとコツコツと続けてきました。

息子の笑顔には不思議な力があります。

うつ病になって極端に笑うことが苦手になりましたが、

息子の笑顔を見ていると自然と私も笑みがこぼれます。

今も笑うのには抵抗がありますが、それでも笑う数は増えました。

そんな笑顔を褒めてくれる企業に出会いました。

私の人柄を評価してくれ、障害に配慮して採用したいと申し出てくれる企業に出会いました。

今月から社会人として再び働き始めています。

始めての出勤の帰りの電車の中、私は泣くのをこらえ、胸にこみ上げる温かい確かなものを

噛みしめるように、労るように、大切に、大切に、感じ取っていました。

生きる意味が分からなかった私が、

働く意味が分からなかった私が、

感情を失った私が、

ここまで見失ってきたものを取り戻し、

ここまで回復したことが嬉しくて、誇らしくて。

錆びついて止まっていた歯車が再び動き出す感覚を確かに感じました。

まだ歯車は軋む音を立て不格好ではあるけれど、確実に動いています。

この先もきっと大丈夫だろうと、根拠はないけど、何故かそう思えるのです。

家族とは不思議なものです。

Facebook2023.9.6 の日記

と、再び会社員として働きながら個人事業主も続けて二足の草鞋を履いて生活しているわけですが、やはり「競争社会」という空気はピリピリと私を襲いかかってきます。

会社員として優秀な社員になって早く昇進しなければ。。。
個人事業主として多く売り上げてたくさん稼がなくては。。。
そんな、焦る気持ちもあり早く何者かになりたいと思っていました。

生き直すという考え方

さて、一度死に、第二の人生を歩み始めても一度死んだ死因をもう一度味わうかのように同じ過ちを繰り返していたなぁと、37歳になって気付かされました。
これまでは、誰かの価値観で誰かが用意した舞台で、勝ち残らなくてはと思っていましたが、そうじゃない「生き残る」のではなく「生き直す」という考え方を紹介している本に出会い、私は「〇〇しないと生き残れないぞ」の生き残れなかったその後を生きているわけで、これからは自分の価値観で自分が用意した舞台で生き直すことにしました。
その生き方をする上で一度死んだ経験は大いに役立つ。

この世の空気感に拗ねて、日陰で生きていくというわけではありません。
やりたいことだけを追求してやりたいことだけをやっていくわけではありません。
落伍者になりたいわけでも、仙人になりたいわけでもありません。

私がずっと憧れてなりたかった「何者」とはただ単に「杉本うさぎ」でした。
自分にとって苦痛と思うことを如何に躱しながら、生き直すかを追求していくことにしました。

ライフワークとライスワーク

好きなことを仕事にすることを「ライフワーク」と言い、ご飯を食べていくために日銭を稼ぐことを「ライスワーク」と言うそうです。
今、まさに私はその状態で個人事業主としての「ライフワーク」と障害者雇用としての「ライスワーク」を生きています。
ただ、一般的に言われる「ライスワーク」は面白みもない、本来だったらやりたくもないけど生活のためには背に腹は代えられない思いで働くことを指すことが多いそうです。

私の場合、今の会社の業界はこれまでまったく興味のなかった業界で、働ける場があって良かったという思いで働き始めたように思います。
ところが10ヶ月働いてみて、その意識は大きく変貌を遂げ今は「半ライフ半ライスワーク」になりました。やりがいも感じており、仕事内容も楽しい。
ただ、公務員のときの様な競争に駆り立てられるのではなく、楽しむことだけに注力しております。
しんどくなったら休むし、短時間単日数で満足してます。

私の根底にあるのはいつも「生きづらいと思っている人を楽にしてあげたい」という思いです。
その思いで個人事業主もやっているし、会社員としても働いています。
この働き方の思想をもう少しブラッシュアップして、発信していきたいと今はそう思います。
生きづらいと思っている人にはきっとこんな働き方が合うんだろうなと(合わない人も居ると思いますが)思って”障害者雇用とフリーランスのダブルワークの勧め”を世に広めていくための準備を今せっせこと進めています。

といったところで、今回はここまで。
ありがとうございました。

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