嫌いな自分も受け入れる

シャドー 独り言
シャドー
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ことの発端

先週の土曜日のこと。
息子とYouTubeを見ていた。きぐるみを着たキャラクターが女児と遊んでいる。映像。
その時、うつ病になった最重要人物とも言える人物を思い出し、非常に混乱した。
以来、うつ病になった前後の記憶が何度もフラッシュバックして、夢にまで見るようになった。
あぁ、過去はすべて精算してきたつもりだったが、まだ傷は癒えていなかったのだなと思い知った。

過去雇っていた部下について

その最重要人物は就業中は常に眠そうにしていて、仕事をお願いしてもろくな成果物は出さず、やり方を1から10まで指導してもメモすら取らず、言い訳ばかりして、1日の数時間をトイレで過ごすような部下だった。後から知ったがトイレに籠もってスマホでゲームをしていたらしい。
臨時の職員だったので、なぜこんな人を採用したのかと採用担当の上司にも怒りの矛先を向けたくなるような、実際上司に何度もその部下を解雇してくれとお願いに上がったが、ついぞ叶わなかった。
他の職員からも地域の人達からも不満の声が現場長の私に寄せられた。その度に指導しないといけなかった。それも苦痛だった。
当時の職場では事業のPRのためきぐるみを所有しており、地域の人達のとのふれあいに使用していた。
PRでしゃべることもできなかった当該部下には、きぐるみを着て愛想を振りまくように指導した。するととてもいきいきと仕事をしてくれた。とくに子供相手には過剰なまでにきぐるみ役を務めてくれた。あとから分かったことだが、その部下は幼児性愛者で、きぐるみを着て小学生に抱きつくことで興奮をしていたらしい。それを知った私は怒りをどこに向けてもいいのかわからず、小学生たちに対する罪悪感と自分の判断力なさに虚無感を抱いていた。
とにかく、とても気持ち悪く、その部下に対して辟易としていた。

そんなこともあり、毎日イライラしていた。
なぜそこまでイライラしていたのか今となっては分からない。
使えないなら仕事を与えないで、放っておくこともできたはずだ。
なのに私は毎日のようにその部下を叱責していたように思い出す。

人の振り見て我が振り直せ

嫌いな人がいることは悪いことでは無いけれど、ひどく疲れる。
嫌いな人の一面だけを見て、それが全てだと思い込み嫌な奴とレッテルを貼ってしまう。
自分の中にも嫌な一面と好きな一面があるのに、他人に対しては嫌な一面だけを見てしまう。
逆も然り、好きな人は好きな一面だけを見て、それを全てだと思いこんで、悪い一面が見えた時に裏切られたような錯覚を起こして、落胆することもある。
全て自分の思い込みに過ぎないのに。

それは自分にも返ってくる。
だから自分の中の好きな部分は外に出してみんなに知ってもらおうと振りまく。
自分の嫌な部分は認めることができず、そんなのは自分じゃないと隠そうとする。

心理学者のユングは自分では認めたくない一面を『影(シャドー)』と名付け、影は誰にでもあると主張した。
ユング曰く、影は消すことが出来ないから健全な心を保つには影とうまく付き合う必要があるらしい。

自分の影を隠し続けて、認めないでいると、自我が混乱してしまう。
ありのままの自分を受け入れて、影も愛する必要がありそうだ。

嫌な人が隣にいたとしたら、それはその人の影を観ているだかもしれない。
それを自覚しているだけで、他人にも自分にも優しくなれるような気がする。

完璧な人なんてこの世にいないんだ。

今、思うこと

影の存在について、当時知っていたらどうだったろうか。
当時の私は無知だった。人の気持ちを理解できる人間だと誤解していた。
人の心理を学べば学ぶほど単純なものではないことを知り、自分が思っている以上に自分の常識から逸脱した人でこの世は構成されていることを知る。

今は個人事業と生業として部下を持つことはない。
今の知識・経験を持った状態で部下を持ってみたいようなそうでもないような複雑な気分だ。
当時のやりきれない想いを他の人とロールプレイすることでやり直そうとしているとても自分勝手な考えだなと反省した。

それでは、また。

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