高い生豆と安い生豆についてと私の仕事について

actor 個人事業に関すること
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高い生豆と安い生豆について今日は書いていきます。

まず、お客さんの立場になって例をひとつ。
低予算の舞台とめっちゃ予算盛り盛りの舞台。どちらが観たいですか?
かたや、セットチェンジもなく舞台衣装もパッとせず演劇中の衣装替えもなく小物も特になくパントマイムで表現されてすごくシンプルな舞台。
かたや、豪華絢爛な舞台にキラキラの衣装、セットチェンジや衣装替えはもちろん、炭酸ガスや舞台照明を使った演出もあります。
さぁ、どちらですか。
私は面白い方の舞台を観たいです。
正直、予算って満足度にあまり影響しないと考えております。もちろん予算盛り盛りの方がストーリーとか表現を抜きにしても演出を観るだけでも楽しめる可能性が高いです。
しかしシンプルな方でもストーリーがワクワク・ドキドキするようなものだったり、演者の表現力の高さから面白くなる可能性もあります。

面白い方を観たいと述べましたが、実はこれってどちらも観ないと判断できないんですね。
そしてそれは結果として面白くない方にも時間やチケット代を払ってしまうことになります。

話を珈琲に移します。
高い生豆の珈琲と安い生豆の珈琲でも同じことが言えて、予算が高いからといって必ずしも美味しい珈琲に出会えるとは限らないと思っています。もちろん高い生豆のほうが美味しい確率は上がりますが、残念ながら同じ高い生豆を使っていたとしても焙煎する人によって美味しかったりそうでなかったりします。
逆に安い生豆が絶対的に美味しくならないとは限らないとも思っています。焙煎次第では。
どちらが美味しいか。それは飲む人によって別れると思いますが高い生豆を使ったからと言って100人が100人全員高い生豆の方が美味しいと言うわけではないことをまず頭に留めておいてください。

高い生豆か安い生豆か、つまり予算が安くなれば売値も安くなります。もちろん安く仕入れて高く売ってはいけないルールなんてないので、お店次第ですが。
高い生豆だと当然値段も高くなります。高く仕入れて原価以下で売るのは商売として破綻していますから。
高い生豆の珈琲と安い生豆の珈琲、どちらが飲みたいかと問われれば、先程の舞台の例同様、美味しい珈琲を飲みたいです。しかしお金も時間も有限です。全部を飲み比べていくわけにはいきません。
安くて美味しい珈琲が飲みたいけれど、高い珈琲の方が美味しい可能性は高い。
では、そんな条件の中、どうやって自分の珈琲を決めるか。そこはどの焙煎士を信頼するかによってくると思うんですよね。

私は、焙煎士はある種表現者だと思っています。
高い生豆を使って高く売り最高の一杯を表現する人も居ていいし、高い生豆を使っているにもかかわらずイマイチな表現者も居ると思いますし、安い生豆を高く売る人も居ていい、安い生豆で安く大量に売って売上を伸ばす表現者も居ていい。
今は値段と美味しさだけに次元を落として話ししていますが、味以外に演出やパッケージにこだわる表現者やとある生産国だけに特化した表現者、色々あると思います。つまるところ自由なんです。
各々の焙煎士が自由に表現する中、どの焙煎士を信頼するかで買う店が決まってくると私は思っています。

以上を踏まえた上で、私はどんな表現をしていきたいかというと、新しいジャンルを作りたい思っています。
肝心の珈琲は普通の値段の生豆をそこそこ美味しく焙煎する珈琲屋でありながら、他にもなんか面白いことをやっているお店を目指しています。
新しいジャンルを作ることはメリット・デメリットもちろんあります。
メリットとしては始めた途端、そのジャンルでは世界一になります。他にやっている人が居ないんだから。
「全裸スキージャンプ」という種目を作ってみたとして、オリンピックで名だたる選手が普通にスキージャンプを競い合った後、一人で全裸でスキージャンプしている人を思い浮かべてください。競技人口は一人なので、金メダルは確定です。ただ、誰にも見られない可能性もあります。それがデメリットです。
でも、少数ではあるけれど「なんか馬鹿な事やっているやつがいるぞ!」と興味を持って見てくれる人も居ると思います。
私が狙っているのはそんな感じ。
「井の中の蛙大海を知らず」と言いますが、大海には蛙がたくさんいます。井戸の中では自分ひとり居て誰にも見られないから大海に出みたものの出た途端、その他大勢になってしまいます。
井戸の中に居たって、その井戸を魅力的にしてしまえば、見に来てくれる人は居るということです。

そんな感じで私のあくなき挑戦はつづきます。
結局なんの話しを書きたかったのか忘れました。
おしまい。

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